謙信公祭とは
謙信公祭は、昭和戦前期から戦中、戦後と激動の時代において一度も中断されることなく、上越の人びとの手によって毎年開催されてきました。
はじめての謙信公祭は、1926年(大正15年)9月13日、当時の高田市・直江津市・春日村(いずれも現上越市)の各青年団の主催により、春日山神社で開催されました。当日は、春日山神社で祭典を行い、名士の講演、相撲、剣舞などが催されました。
謙信公祭の創設には、当時の高田市長、川合直次が強く関わりました。川合市長は、謙信公を武人としてはもとより、仏典や儒学を深く学び、和歌、茶道、能楽の趣味を持つ「人格者」としての側面にも敬意を表していました。
戦前の謙信公祭については、武人としての謙信公の評価が強まる中で軍国的な雰囲気がまとわりつきますが、単なる軍人としての精神性だけでなく、川合市長が提唱した謙信公の「人間性」を讃えるという価値観こそが、戦後も謙信公祭が続いてきた力となっています。
また、地元には、戦国大名が割拠した動乱の時代においても、謙信公は、一年に一度だけ民衆を春日山城に招き入れ、日頃の労をねぎらったという言い伝えが残っており、こうしたことが謙信公祭を行うきっかけになったともいわれています。