大関和が歩いた道をたどる~高田の出会いの物語~

大関和と帝国大学医科大学第一医院で共に働いていた瀬尾原始が路上で偶然に出会ったことで、和は再び看護の道に。
高田女学校と知命堂病院は目と鼻の先にあり、出会うべくして出会ったこの場所が、和の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
家族に手紙を出すために歩いた道、廃娼運動に向かった道、和が歩いたそれぞれの道をただりながら、和の心情に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

  • Day1
    • 五ノ辻、六ノ辻

    • 四ノ辻

    • 知命堂病院

    • 大町通り(雁木通り)

    • 旧今井染物屋

    • 本町二丁目(旧茶町)

    • 高田城址公園

    • 青田川

Day1

Start
  • 高田駅

  • Spot01

    (青田川沿い)五ノ辻、六ノ辻ごのつじ ろくのつじ

    桜井女学校(ドラマでは梅岡女学校)の分校として、設立された高田女学校(ドラマでは高越女学校)のあった場所
    学校では英・数・国・漢・地・歴・裁・唱(讃美歌)・修(聖書)等を教えましたが、英語は本校からミス・ディビスやミリー兼という外国人教師が来て、本格的な発音で教えるので有名でした。オルガンは等地方では初めての楽器でありました。
    東大第一医院を辞めた和は恩師ツル―先生の依頼に応えて、明治23年10月、この高田女学校へ赴任して舎監となり、伝道活動や廃娼活動を熱心に取り組みました。

  • 徒歩で約13

  • Spot02

    四ノ辻しのつじ

    高田女学校と知命堂病院とは歩いて十分足らずの近い距離にありました。
    瀬尾原始先生が明治24年10月下旬に岡山から高田に帰られて間もないある日、人力車に乗っていると、知命堂病院の北側の路上(四ノ辻)で、大関和と偶然出会いました。
    原始先生は和にどんな言葉をかけたのでしょうか。

  • 徒歩で約5

  • Spot03

    知命堂病院ちめいどうびょういん

    瀬尾原始と再会し、大関和が初代看護婦長を務めた病院
    明治24年11月29日、知命堂病院開院式が挙行され、大関和は格調高い祝辞を述べています。優秀な医療スタッフと婦長をそろえた知命堂病院の診療は順調で、明治25年5月には病院最初の施療患者の解剖も行っており、研究用の人体骨格標本も作られました。和は差し当たって医療に必要な、知命堂医院時代からの看病人や見習看護婦達に骨格標本をもとに解剖や教科教育を行いました。
    瀬尾原始は、明治27年4月に産婆看護婦養成所を創設し、本格的に養成事業を開始し、和も協力しました。

  • 徒歩で約3

  • Spot04

    大町通り(雁木通り)おおまちどおり(がんぎどおり)

    雁木は、主に冬季の通路を確保するために家屋の一部や庇(ひさし)などを道路側に延長したもので、豪雪地の生活の知恵といえます。高田地区に現存する雁木の総延長は、日本一となっています。
    東京に残した娘に手紙と為替を送っていた知は、郵便局までこの雁木を歩いたことでしょう。

  • 徒歩で約5

  • Spot05

    旧今井染物屋きゅういまいそめものや

    旧今井染物屋は、江戸時代末期に建てられた、市内に現存する町家の中でも最も古く、最大級の町家です。
    和が見た、当時からほぼそのまま残っています。
    また、和が暮らしていた明治25年から高田の産業として発展した「バテンレース」を後世に残していくため、常設工房を設置しています。

  • 徒歩で約13

  • Spot06

    本町二丁目(旧茶町)ほんちょうにちょうめ きゅうちゃまち

    大関和が廃娼演説会を開いた大惣亭があった場所
    和は、女性の救済を男子にばかり任すべきではないとして、明治24年4月には、遊郭の業者の妨害があったにもかかわらず、茶町の大惣亭で廃娼演説会を開きました。高田女学校のオルガンを持ち込み、和が作詞・作曲した廃娼唱歌を合唱したり、和の発案で音楽会を開いて、その収益金を高田青年会の廃娼運動の資金に寄付しています。
    ※大惣亭(高田・本町二丁目)にあった貸席(芸妓などを揚げて酒食をする店)の一つと思われる。

  • 徒歩で約17

  • Spot07

    高田城址公園たかだじょうしこうえん

    高田城址公園は、朝ドラの原案となった書籍「明治のナイチンゲール 大関和物語」で、東京の第一医院で和に看病された相馬愛蔵がお礼を言うため高田に訪れ、二人が散策した場所として描かれました。
    徳川家康の六男、松平忠輝公の居城として築城された高田城の跡に造られた公園で、現在の公園の地形は旧陸軍第十三師団が入城する際、明治40年(1907年)に土塁の大半を崩して堀を埋める工事が行われたことによって出来たものとされています。

  • 徒歩で約14

  • Spot08

    青田川あおたがわ

    明治中期から高田女学校や知命堂病院近辺を流れる川。和も青田川の薫風を感じたのではないでしょうか。
    大正14年(1925年)10月に大正天皇の銀婚式を記念して高田保勝会(のちの高田市観光協会)により植樹された堤防沿いの桜並木は、高田の春の風物詩として、訪れる人たちの目を楽しませています。

  • 徒歩で約17

  • 高田駅

Goal

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